2010年06月

 
バッハ:ゴールドベルク変奏曲
グレン・グールド(ピアノ)
 
当時のドレスデン駐在のロシア大使でバッハの後援者だったカイザーリンク伯爵は、病気がちでしかも眠れぬ夜をすごしていたそうである。ある時伯爵は、このつらくて眠れぬ夜を何とか克服したいと考え、バッハにお抱えチェンバリストのゴールトベルクに弾いてもらうためのやすらかな眠りにつける曲を作曲するように依頼したという。
バッハはその依頼に応え、「眠りのための音楽」を作曲することになったのです。それがこの「ゴールドベルク変奏曲」です。1742年、カイザーリンク伯爵の命令のもとにバッハは「クラヴィーア練習曲」第4部として「アリアと種々の変奏曲」と呼ばれるこの壮大な変奏曲をゴールドベルクに弾かせるため眠りの曲として出版したのでした。カイザーリンク伯爵がバッハの崇拝者であったことや、ゴールドベルクがバッハに師事していたことなどもあり、この作品はカイザーリンク伯爵の為に作られたのは事実のようです。

1981年にグールドは26年ぶりにこの魅力的な作品を再録音し、唐突にこの世を去った。これは彼が長年にわたって築き上げてきた独自のバッハ観が集約された不滅の記念碑である。

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毎週月・水・金曜日の夕方に、ヒルトンプラザ大阪のロビーで開催されるトワイライト・コンサート
都会の中の安らぎのひと時を、美しい音楽とともにゆっくり過ごせる
帰宅の途中で生演奏が楽しめるのはありがたい

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わたなべゆう(ギタリスト)とmic(女優)による朗読会

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ピアノデュオ

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ヴァイオリン・ソナタ

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チェロ・ソナタ

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「1000000人のキャンドルナイト」
キャンドルのアート作品が梅田の街を彩るイベントだ
ふだんとまったく違う時間に出会え、心の風景も変わります

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西梅田公園のライブ

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一行メッセージ、恋人や家族におくる言葉がしたためられている
『 私のことは忘れてください。貴方のことも思い出しません。BYE 』
関西らしい

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五味八珍

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新メニューの黒醤油そば
二郎も真っ青のチャーシューと背油だ

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鳥貴族で社外会議

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神戸まつりは神戸市の財政援助団体である神戸市民祭協会が主催し、神戸市の中央区三宮を主会場に、市内各地で実施されている神戸最大の祭典です。
メインの行事となるサンバ・カーニバルなどの様々な催しが繰り広げられる、初夏の神戸を彩るイベントです。

メイン会場となるフラワーロード

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灘五郷
西宮から神戸にかける地域は日本一の酒どころ。灘五郷と呼ばれるように、酒蔵は今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷と、阪神間の海岸線に沿って点在しています。現在も多くの酒蔵が伝統の技を競い合い、味わい豊かな酒を造り続けています。

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ヴァイオリン演奏のパフォーマンス
かなりのこわもてだ

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各サンバチームの競演が楽しめるサンバストリート

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内外のサンバチームが競演を繰り広げる
熱気であふれ、会場はサンバ一色となる

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サンバパレードの始まりです
理屈抜きに楽しめます

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お腹がメタボのダンサー

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美人揃いのサンバチーム

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安定感があるダンサー

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霜降り

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TOKYO-X

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素人っぽいサンバチーム

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子供サンバチーム

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地元の神戸サンバチーム
サンバストリートは最高に盛りあがった

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森三中?

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一般の人も飛び入り参加
かなりの美形だ

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堀ちえみ似の人も踊っている

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民衆党の参議院候補の桂きん枝と横須賀から来たという在日アメリカ海軍総司令官
こんな連中に日本の政治と極東の安全を託して大丈夫だろうか、本当に心配だ

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夕方からはテニススクールで懇親会

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スクール一美形のフロント嬢
写真より実物はもっときれいだ
生まれてから一度もトイレに行ったことがない、とか

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2009年に地域の活性化とほたるの育成を通じて豊かな自然環境を守り育てることを目的に、福井県大野市上丁に 「ほたるの里丁」 が発足しました。
大野市乾側地区の上丁は、飯降山のふもとに位置し、水が清らかなことに加え適度な湿地が残る、ほたるの自然発生に適した水辺環境が自慢の山里である。
ほたる成育の環境を守るために、近隣の田んぼでは地元民の理解の下に減農薬が実施されています。
2010年も19日(土)と20日(日)の2日間に渡りほたるの鑑賞会が開催されました。


ほたるの里丁(ようろ)の看板

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ほたる鑑賞会ののぼり
今晩あたり、ほたるの乱舞する姿が見られるのではないかと期待が高まる

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ほたる博士の、福井工業大学の草桶秀夫先生によるほたるの生態の講義
今の季節、7時半ではまだ明るかった

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8時前になりようやく暗くなった

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ほたるの写真
コンパクトデジカメで撮るのはきびしい

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ほたるが多く飛んでいた土手

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翌朝の同じ土手

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きれいな水と豊富な草が生えている環境がほたるの生育に適している

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地域をあげての環境保全活動がすすめられている

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ほたるが多く飛んでいた山の麓

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稲は順調に育っている

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ミョウガの子が顔を出すのは8月だ

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6月では飛んでいるチョウチョウは少ない

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上丁地区にある蓮如さん
真宗興隆の基を創った蓮如上人が、かってこの地を訪れ土地の人に説法したことにちなんで、この碑が建立された

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ワンちゃん

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トンちゃん

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かなり前に閉店した電気店だが建物は残っている

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オーディオセンター高島屋、当然ながらデパートの高島屋とは関係ありません
高校生の頃、この店で小遣いの大半を使いオーディオを購入した

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鯖の姿焼き
1匹が1,100円とは高くなったものである

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一乗谷朝倉氏遺跡
朝倉氏の祖先は、現在の兵庫県・養父郡一体を本拠地としてい た豪族。元々は日下部と呼ばれていましたが、平安時代の末頃から朝倉姓を名乗 るようになったといわれています。鎌倉時代の末頃からは南北朝の争乱に参加。 室町時代には足利一族の有力武将・足利(斯波)高経のもとで功績をたて、越前黒丸城(現 在の福井市西部の九頭竜川河口左岸)に居を移し、朝倉広景以後6代135年にわ たって坂井郡一円を支配しました。
七代目の朝倉孝景は、1467年の応仁の乱で大活躍。守護斯波氏や守護代甲斐氏を追放、越前を押領し、守護(代?)職に就くと同時により軍事環境に適した一乗谷に本拠を移しました。
文明3年(1471年)以後孝景→氏景→貞景→孝景→義景と五代103年に わたって越前を支配。京の文化を積極的にとり入れ北陸の小京都とも呼ぶべき城 下町を築きながら、みやびやかな文化の華を咲かせました。
しかし、その繁栄も五代・義景が「刀祢(とね)の戦い」で信長に破れ、陣を建 て直すため大野に逃れましたが、一族・朝倉景鏡の裏切りにあい自害。一乗谷は 天正元年(1573年)8月17日信長勢によって火を放たれ、朝倉氏の城下町 は三日三晩燃えつづけた後、地中深く眠りにつきその栄華の永い歴史を閉じました。

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冬に放映されたソフトバンクのCMはこの地で撮られた
女子生徒は現地の高校生から採用された

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武家屋敷跡

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井戸
谷あいの地だけにどこを掘っても水が出たらしい
中には水が満ちていてまだ使えそうである

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厠(かわや)、今のトイレである
戦国時代においてはかなり豪華な造りであったと思われる
家の主が、かなりフン発したのが想像される

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